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「患者よ、がんと戦うな」批判

基礎演習の夏休みの宿題ということで、この夏は文章を読むときに特に論証の構造を持っているかどうかを念頭に置いて読み進めた。先生も最後の授業で取り上げた例だが、新聞では全くといってよいほど論証の構造がある文章にはお目にかかれなかった。国旗・国家法案に関する投稿は辛うじて批判の余地があったが、あまりにタイムリーな内容なので採用を見送った。イデオロギーにも関わることなので弱気なぼくはしり込みしてしまったのだ。それで新聞から題材を拾うことはやめ、手ごろな書籍を見つくろってみた。 

さて、この「患者よ、がんと闘うな」(近藤誠,文藝春秋社)は1996年に出版されているが、もともと「がんもどき理論」は眉唾ものだ、どうにかしたら批判できるだろうと思って手に取った作品だった。しかし読み進めるうちに、この本の眼目は、医師や製薬会社は自分たちの利益のためにがんの手術や抗がん剤の投薬・がん検査を行っていることの指摘であることに気づき、「がんもどき理論」は分量上も10章中の最後の2章を占めるだけであって、あまり重要な主張ではないのではないか? とも思うようになってしまった。

しかしこの本が世間で騒がれたのは「がんもどき理論」のためであったとぼくは信じているので、これを批判することにもそれなりの意義があるだろう。著者がたびたび「論理的には」「科学的ではない」などと書いているのを見ても分かるとおり、本人は意識的に論理的であると思って書いているようだし、論証の構造を持つ文章に遭遇することもしばしばだったので、反論が加えられる部分については批判を展開していこうと思う。批判には同書から引用しながら該当個所を批判する形式を取っていく。

抗がん剤治療によって前立腺がんが縮小することはあります。しかし、それで治るとか、延命効果があるということは証明されていません。がんが縮小する人がいるのに、延命効果がみられないのは、抗がん剤の副作用によって早死にする人がいることが理由の一つです。他方、副作用は全員を襲います。要するに前立腺がんも、抗がん剤のメリットは証明されていません。これまでさんざん研究されてきて、メリットを証明できないのですから、前立腺がんに対しては抗がん剤が本質的に無効と考えたほうがよさそうです。
(p22)

メリットがあることが証明されていないのはメリットがないことが証明されているのとは違うので、それをもって抗がん剤治療を否定することはできない。逆に副作用で早死にしてしまう人のいることが判明しているにもかかわらず延命効果がないことが証明されていないのは、その抗がん剤が効く人もいると判断する根拠にもなりうる。

また、これまでの研究でメリットが証明できないといってこれからの研究で証明できないとは限らないので、それをもって抗がん剤が本質的に無効と考えることはできない。

# この著者は「証明できない」ことをもって否定する論法が随所に見られる(たとえばpp144-145) ので、最初に出てきたここで取り上げてみた。

米国にはがんファクスという制度があります。米国国立がん研究所が、がんの最先端の治療に関して、世界に向けて行っているファクシミリによる情報サービスです。それには、すべてのがんについて、進行状態に応じて標準とすべき治療法が記されています。そこで大腸がんの項目を見てみましたが、驚きました。5FUとレバミソールの組み合わせによる抗がん剤治療が、三期のがんの手術後になすべき標準的治療と記されているからです。しかしその根拠として引用されている二つの研究報告は、相互に矛盾を含むものなのです。
 その二つの研究は、同じ研究者グループが別の時期に行ったものですが、どちらの研究でも、手術単独群に比べて5FUとレバミソールを加えた群のほうが、生存率が少し高くなってはいます。しかし手術にレバミソールだけを加えた別の群を見ると、一方の研究では、手術単独群よりも生存率が高くなっているのに(「JCO」七巻一四四七頁、八九年)、他方の研究では、手術単独群と生存率が同じになっていて、二つの結果には矛盾があるのです(「NEJM」三二二巻三五二頁、九〇年)。
(p32)

レバミソールだけを加えた群どうしの結果が矛盾していたからといって、研究全体どうしが矛盾しているとは必ずしもいえない。この例ではレバミソール単体の効果を測る実験であればもちろん矛盾しているが、2つの研究は5FU+レバミソールの効果を示す研究であり、レバミソール単体どうしの結果が2つの研究で異なっていても問題ない。レバミソール単体での対照実験はそれぞれの研究内で5FU+レバミソールと(恐らく5FU単体とも)比較されたものであるので、その研究内で無投与、レバミソール単体、5FU単体、5FU+レバミソールのうち5FU+レバミソールの成績がよければよい。

# 同様に、この著者は一部が否定されることをもって全体が否定されるかのような主張を繰り返すので最初に出てきたここで取り上げる。

国際的には胃がんでは、胃袋にくっついているリンパ節を中心に切除しています(D1手術)。しかし日本では胃がんの手術はというと、リンパ節を広く切除するのが標準です(D2手術)。しかし国際的には、D2手術の意義は認知されていないために、D1手術とD2手術をくらべるくじ引き試験がオランダで開始されました。そしてオランダには、前出の国立がんセンターの笹子医師がD2試験の技術指導にいって、論文にも名をつらねています。
しかし彼やその仲間は、国立がんセンターではD2手術を標準としておこなっています(「外科」五五巻一四〇六頁、九三年)。したがって彼は、D2手術がベストと考えているはずですが、他方、くじ引き試験の論文に名をつらねたことは、D1手術とD2手術とのどちらが優れているかわからないという、試験の前提に同意したことになります。これも矛盾でしょう。
(p74)

笹子医師がくじ引き試験の論文に協力したからといって、試験の前提に同意したことにはならず、矛盾を引き起こすこともない。ただ単にD2手術の技術指導者がオランダにいなかったためかもしれないし、国際的に認知されていないD2手術の意義を、2つの手術の比較を通じて明らかにし、D2手術がベストであることを認知させる行為かもしれない。

# 国際的な流れはこうで、だから科学的で、それでそうしない日本は非科学的だからだめだ、という書き方が(特に本の前半)強調されているのが鼻についたので出してみた。そういえばこの段の見出しは日本における「医師の思考の非科学性」だった。

検診の無効性がはっきり証明されてしまったがんがあります。肺がん、乳がん、大腸がんがそれです。まず、肺がんのくじ引き割り付け試験の結果を見てみましょう。
くじ引き割り付け試験とは、多数の健常な人々を集めてくじを引き、検診するグループと放置するグループとに振り分ける研究方法です。肺がんでは、米国のメイヨークリニックでおこなわれたくじ引き試験が有名で(以下、メイヨー肺がん試験と略す)、将来肺がんにかかる可能性が高いヘビースモーカー九千人を集めて、くじを引いて二つの群に分けています。一方の群は、胸部レントゲン撮影と喀痰中に含まれる細胞の顕微鏡検査とを四カ月ごとに繰り返し、他群の人たちは、咳や血痰など何か症状が出たときに検査をしました。
すると意外なことに、十一年間にわたって観察しても、両群の肺がんによる死亡数に変わりがありませんでした。というよりも、死亡数はむしろ検診群のほうが多い傾向にあったのです(百十五人対百二十二人) (「Cancer」六七巻一一五五頁、九一年)。肺がんに関しては、他にも二つの割り付け試験が米国で実施されましたが、いずれも検診群の死亡数は減りませんでした。それらの結果、肺がん検診の有効性は否定され、欧米では肺がん検診を取りやめました。
(p165)

まずこの実験では「十一年」という期間が十分であるかどうかが問題となる。いくらヘビースモーカーとはいえまだがんが発見されていない段階の被験者が、十一年で末期的に悪化して肺がんの原因で死亡するとは思われない。そのため、十一年にわたる観察で両群の肺がんによる死亡数が変わらなくとも肺がん検診の有効性が否定されたことにはならず、もっと長い期間にわたる追跡調査が必要であろう。また、逆に死亡数(ここでは肺がんによる死亡なども含めた全死亡数を指している)は検診群のほうが多いにも関わらず、肺がんがその原因となる死亡数に変わりがないのであれば、全死亡数における死亡原因中で肺がんの占める割合が減少したことになり、これはかえって肺がん検診の有効性を示す実験結果と考えることもできる。

# 以下乳がん、大腸がんについても同じように続き、たとえば乳がんでは10年、大腸がんでは13年の試験期間をとっているが、これが妥当であるかどうかはいっさい触れられていない(むしろ本書の他の箇所を見れば妥当ではないように思われる)し、総死亡者数が減少していないことをもって検診の無用性を主張しているのも同じである。たしかに同書が展開する論のように、あるがんでの死亡者数が減ったからといってそれに対する手術や抗がん剤の副作用で総死亡者数が変わらなければ検査の意味もないかもしれないが、副作用で死亡する人数を考えても総死亡者数が一定である理由については考慮されていない。

## 「がんもどき理論」に関してはまとまった記述がないのでこちらで本書の第9章、第10章からもとの文章を引用したうえで議論の骨格を抽出したものを提示し、批判する。 

これまでは、原発病巣が早期発見可能な大きさを超えるとがん細胞であふれかえり、がん細胞は難民のように新天地をもとめて転移する、と漠然と考えられてきました。しかし最近、転移するメカニズムの研究が進み、複数のステップの存在が判明しました。(1) がん化した細胞が、発生母地になった正常細胞群のまわりを取りまいている基底膜という物質に穴をあけて外にでる(浸潤といいます)、(2) がん細胞が近くの血管のなかにもぐりこむ、(3) 血流にのって他臓器に到達する、(4) 他臓器の血管壁の内側をおおっている血管内皮に取りつく、(5) 取りついたまま内皮をこじあけて血管の外にでる、(6) そこで増殖する、という一連のステップです。がん細胞がこれらのステップをクリアーするためには、がん細胞は特殊な能力を備える必要があます。
たとえばステップ (1) ではがん細胞は、基底膜に穴をあける特殊な酵素をださねばなりません。かりに酵素をだす能力を獲得していない場合、がん細胞は基底膜の内側に閉じこめられたままになり、転移する前提を欠きます。あるいはステップ (4) をクリアーするためには、がん細胞の表面に、鍵に相当する物質がなければなりません。がん細胞は、自分が持つ鍵にピッタリあう鍵穴をもつ血管内皮にしか取りつけないので、もし鍵がないと血管のなかをグルグル回ることに終始して、やがて壊れてしまうからです。
(p189)
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これまでの転移成立時期に関する考えかたには、大きな誤りがあるのです。従来がんは、早期発見可能な大きさを超えてから転移する、いいかえれば早期がんから進行がんにいたるあいだに転移する、と考えられましたが、それは実証されていなかったのです。それどころか、種々の観察結果や考察はすべて、がんが早期発見可能な大きさになる前に転移が生じ、それ以後には生じないことを示しています。
もっとも、早期発見可能な大きさになったあと初めて転移することは絶対ない、とは言い切れません。その可能性を認めることが、科学的な態度だと思います。ただこれまでいくら研究しても、その可能性を現実のものとして立証できなかったわけで、転移していない早期がんを放置しておくと、そのすべてないし殆どに将来転移が生じると考える、これまでの早期発見理論に無理ないし誤りがあることはいまや明白です。
がんは早期発見可能な大きさを超えたあと初めて転移するのではない、という命題は、がんの本質からも裏づけられます。がんの本質については次章で解説しますが、簡単にいえば、細胞の遺伝子についた傷です。正常細胞の特定の遺伝子に特定の傷がついた場合にがん細胞になるわけで、転移に必要な特殊な酵素をだすなどの能力も、特定の遺伝子に特定の傷がついた場合に獲得されます。
これらの傷は遺伝子ごと、子孫の細胞にそっくりそのままのかたちで受け継がれていくのが原則ですから、早期発見可能な大きさになるまで転移が成立していなかった場合、それ以降もう転移しないと考えられるわけです。なぜならば一センチのがんでも、すでに三十回ものネズミ算を繰り返し、細胞の数は十億にもなっているので、その時点まで転移できなかったことは、特定の遺伝子に特定の傷をつけることができなかった証拠になるからです。
(pp192-193)
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天皇のポリープは、検査段階から良性のものだろうと考えられていました。それでも切除されたのは、ひとつには低い確率ながら、がんの場合があるからです。しかし、かりにがんであった場合、それは「本物」か「もどき」のどちらかに分類されますが、本物のがんなら転移があるので発見してもしかたないし、もどきなら放っておいても大丈夫なわけで、発見・切除に意味はなかったことになります。
(p200)
がんもどき理論: がんには「本物のがん」と「がんもどき」の2種類があり、「本物のがん」は他臓器に転移するのに対し、「がんもどき」は転移しない。がん検診で発見されるがんにもこの2種類があるが、もしそれが「がんもどき」なら転移しないので重篤な症状を引き起こすことはなく、身体になんらかの異常が出てから治療しても間に合う。またもしそれが「本物のがん」なら、がん細胞が転移するのはそれが検診で発見可能な大きさになるよりずっと以前であるから、発見されたときにはすでに転移しておりもう手遅れである。ゆえにがん検診は無意味である。

まず「本物のがん」が発見されたときに手遅れかどうかはこちらに判断する材料(専門知識)がないので保留しておく。しかし少なくとも「現在の医療水準では」という言葉を最初にもっていかなければならないと思う。

つぎに「がんもどき」の場合であるが、この筆者が主張するように「がんもどき」が安全である、とは必ずしもいえない。引用文の2番目にあるとおり、がん細胞は増殖を司る部分と転移を司る部分の両方の遺伝子に変異があった場合に「本物のがん」化する。筆者のいう「がんもどき」はすでに増殖を司る部分に変異があったためにがん化しているので、あと転移能力を獲得するだけで「本物のがん」化する(ちなみに転移を司る部分に変異があったとしても無限に増殖する能力を獲得していないので早晩死滅する)。そのため「がんもどき」細胞を放置しておくことは危険である。

また筆者の論法で行くと、「人間の身体は、1個の受精卵から50回近くものネズミ算を繰り返し、細胞の数が60兆にもなっているのだから、生まれてくるまでにがん化しなかったことは、特定の遺伝子に特定の傷をつけることができなかった証拠になる」ということができるが、こんなばかげた話はない。

すると発見されたがん細胞が「がんもどき」の場合なら早期に発見して治療することに意味があるので、けっきょくがん検診・および治療には効果があることになるのだ。